その間を散歩出来るようになっていました。
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日曜日に、播磨町の大中遺跡公園にある「兵庫県立 考古博物館」へ行ってきました。 大中遺跡は、弥生時代後期(約1900年前)から古墳時代初頭の代表的な遺跡で、73軒の竪穴住居跡が見つかっています。 公園には、竪穴住居等が多数復元されています。 実はこの日の朝、読売新聞のこんな記事を読んでました。 「神の手」にだまされた研究者、「お前はグルかバカか」迫られた問い…ゆがめられた旧石器時代 : 社会 : ニュース 「後から埋めた?」「そんなことできるか?」 忘れもしない、2000年11月5日の未明のこと。北海道新十津川町の〈旧石器時代遺跡〉の発掘責任者だった長崎潤一さん(61)=当時39歳=は、関係者からの一報を受けて、電話口でぼ この記事の 日本に原人はいなかった? と言うのを読んで、え?じゃあ「明石原人」は?って思って調べたらどうやら原人の骨ではない可能性が高いらしい・・・ さて、考古博物館 エントランスには、縄文時代から江戸時代まで3500年にわたり変わっていく土器が展示されています。
入り口すぐに、「発掘ひろば」があります。 中では、発掘の様子が再現されており、埋蔵物などの展示もあります。
そして、テーマ展示室 「人」「環境」「社会」「交流」のテーマに沿って、埋蔵品や復元品が展示されています。
縄文時代から、弥生、そして古墳時代へといろんな埋蔵品や復元品が展示されていて興味深いです。
そして明石(原)人骨の石膏型の複製が展示されています。 発見から現在の研究による説などの顛末も・・・ その他大陸との交流や古墳文化に関する展示などとても興味深い内容でした。
旧玉置家を出て、湯の山街道を歩きます。 レトロな雰囲気の、三木・ナメラ商店街。 昭和のあれこれを売っているお店が開いてました。 商店街を抜けて湯の山街道を歩きます。
酒蔵などもあります。 城下町によくある鍵曲がりの道。 古い町並みが続きます。
商店街の近くに戻ってきました。 三木城本丸跡です。 天守台跡にある三木城主別所長治辞世の句碑 別所長治公の石像。 そのた、資料館などもありいろいろ見るところが多い三木城周辺でした。
一昨日の日曜日は、三木市の「湯の山街道」と呼ばれるあたりを散策してきました。 近くなのにゆっくり歩いたことが無く、「湯の山街道」って知りませんでしたが、良いところでした。 湯の山とは、有馬温泉のことだそうで、羽柴秀吉が三木城攻めをした折、三木から湯の山(有馬温泉)まで何回か作戦行動をしたそうです。 街道沿いには古い町家が残っており、とても趣があります。 観光協会の駐車場に車を置いて、まずは「旧玉置家(たまおきけ)」へ。 建物は江戸時代に建てられた第一期の建物と明治以降に増築された第二期の建物に分かれています。 襖の下貼りから出てきた、江戸時代の薬の処方箋。 井戸やかまどなど
蔵がギャラリーとなっていました。 中には、民具や具足などが
また、勝海舟の書なども展示されています。
丸みを帯びた屋根。 ひょっとこの顔のような蔵 もう1個の蔵と対になっていて面白い。
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